真剣30代しゃべり場!昭和60年代生まれの『君たちはどう生きるか』

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ヘイブラザー!柴田恭兵です。
うそです。フロントエンドエンジニアの4号機です。
先日、32歳になりました。いよいよ本格的に30代へと足を踏み入れてしまいました。
 
まさか自分が30代を突き進むなんて誰が想像できたでしょう。
しかも自分の30代が10代の頃と特に大差ない「こころ」のままだということも…。
いまだに当時の友人とアホな話ばっかしてますし、あと会社の帰路に銀杏BOYZ聴きながら泣いてますし、あと性欲も衰えるどころか増す一方。多分わたしたちは、生きるうえでの価値観のほとんどを、あの輝かしき「10代」で身につけるのかもしれません。そしてこのまま40、50、60、70歳になっても、好きなものは死ぬまで好きなままなのだと思います。
 
しかし!そんな自分の「こころ」は永遠に変わらずとも、刻一刻と変わりゆくモノがあります。
 
それは「肉体」と「世の中」です。
 
「こころ」は若いまま「肉体」はだらしのない30代に落ちぶれ、そして「世の中」は来年(2019年)で平成を終えます。
 
そこで。今回はちょっと番外編。
題して「真剣30代しゃべり場!昭和60年代生まれの『君たちはどう生きるか』」
いろいろパクってますが、許してください。
 
言わずもがな「昭和60年代」は60〜63年の、たった4年間を指します。
この「昭和60年代生まれ」世代は、年齢でいうと今年30〜33歳を迎える人たちのことです。
 
そんな、いよいよ30代を本格的に歩まんとする「昭和60年代生まれ」たちに向けて、同じ60年代生まれの自分がさいきん考える「心構え」を書き記してみたいと思います。
 
『君たちはどう生きるか』ってジブリ映画になるらしいですね。
あと宮崎駿監督って作業場でHIP-HOP聴いてるらしいですね。
 
ではどうぞ!
  
  

■カラダは「正直」だね


いきなりの下ネタではありません。
 
歳を重ねて、まず感じるのは「肉体」の衰えです。
今からずっと昔のこと。わたしたち人類は10代で子を持ち、20代で子を育て、30代で子が自立するというライフサイクルを送っていたといいます。
つまり30代のわたしたちは、もはや「余生」を過ごしていると言っても過言ではありません。
もっと言えば、わたしたちはもう「おじいちゃん」「おばあちゃん」の域なのです。
そりゃあ肉体にもガタがきます。
 
30歳の正月、ひどい腰痛と肩こりに襲われた僕は「もう肉体は放っておいては育つことはないんだな…」と悲しくなったのを覚えています。その頃ハマったのが「タイ古式マッサージ」です。池袋の西口にあるお店のお姉さんがかなりテクニシャンなんです。で、個室で薄暗いんです。「だいぶ凝ってますね」と言われて、あ、やっぱり分かります?と答えたら「カラダは正直ですから…」と言うやいなやお姉さんは僕の服を脱がしていつの間にか大きくなっ…(省略)。
※もち健全店だよ★
  
  

■「新しい音楽」を聴き続けよう


音楽は自分の「全盛期」を映す鏡です。
青春時代に聴き込んだ音楽は、大人になっても、いくつになっても聴き続けるものです。
それは在りし日の想い出を懐かしむことであり、感傷に浸りながら毎日の疲れを「癒し」ているのかもしれません。
あなたはアンニュイに浸りながら、もしかするとこんな言葉を呟いていませんでしたか?
 
「あの頃は良かったなあ…(うっとり)」
 
なにが良かったんだよ!!!!
あの頃はあの頃で辛かったわ!勝手に想い出補正するな!と言いたいところです。
 
しっかり思い返してください。あの頃アナタが一番嫌っていたのは「あの頃は良かったなあ…」とかカンタンに抜かすしょーもないオトナだったことを。
さあ、今を生きましょう!今の時代を映す「音楽」たちを聴いてみましょう!今は今で、あの頃とは違う良い音楽がたくさん溢れているんですよ。
「いや、良いの全然ないよ」と言っちゃうひとは、良い音楽を探す気力と情報のネットワークをいつしか失ってしまっているだけです。
音楽ストリーミングサービスの「新着」欄をとりあえず全部チェックしているというやついいちろう(エレキコミック)を見習うべきです!
  
  

■新しい「経験」を得よう


歳を重ねることは、それだけ「経験」を重ねることでもあります。
何か問題が起きたとき、培った「経験」を活かしながらうまいこと対処できるようになります。
それはそれで良いことなのですが、しかし「経験」に甘えてはいけません。
 
その「経験」というのは、過去のあるポイントにおける自身の「成功体験」を模範としています。
だけれど、そうした「成功体験」もいつしか埃をかぶり、錆びついてしまいます。
そんな自身の「経験」の風化に気づけずに、いつまでも「昔の自分」を頼りにしていてはいませんか?
 
そうならないためにも、どんどん新しい「経験」を得るようにしましょう。
チャレンジを恐れないようにしましょう!
 
さいきん自分は、ひとりで松屋の牛丼早食いトライアル(並盛り)に挑戦しているのですが、ついに完食1分20秒を切ることができました!「さては…残りの味噌汁とご飯のバランスが重要なのでは!」と気づくことで飛躍的に秒数を短縮することができましたし、それは自分にとって大きな、新たな成功体験となりました。
 
渋谷付近の松屋でひとり牛丼を早食いをしているおっさんを見かけたら、それは僕です。
  
  

■若者文化に合わせる中年はマジで「ダサい」


みなさん「かれぴ」って何か知ってますか?
これはいま女子中高生を中心に流行っている言葉で「彼氏」のことらしいです。
 
彼氏 → かれし → かれぴ
 
となるようです。アホみたいにかわいいですね。
バリエーションも豊富で「かれぴ」をはじめ「かれぴっぴ」「ぴっぴ」「ぴっぴっぴ」「すきぴ」「すきぴっぴ」ついにはそれらを統べる「ぴ」など様々。
 
しかし仮にたとえば僕らと同年代の女性が「今日かれぴとね〜」などとほざいた日にはその口を瞬間接着剤で永遠(とわ)に閉じてしまいたくなりますよね。あと、おっさんも必死に若者文化に近づこうとしてカラオケで「お、ゼンゼンゼンゼン(前前前世のこと)!なんつって笑 何回「ゼン」って言えばいいのか分かんないよね〜笑 それバンプ(?)でしょ?知ってんだよ〜ワタシでも」などと恥をかく場面が容易に想像できます。
 
おい笑うな!他人ごとじゃないぞ!
 
オマエも胸の大きい女性を見るなり、いまだに「お、根本はるみ!」とか言ってるだろ!
  
  

■「若さ」は価値ではない


中国唐代の皇妃、楊貴妃は「永遠の若さ・美しさ」を得ようとしたと伝えられています。
現代においても、特に女性にとって「若さ・美しさ」は重要な「価値」であり続けているようです。
もちろん男性もまた「若さ・カッコよさ」はできれば失いたくない「価値」です。
 
しかし考えてみてください。どうしてそれらが「価値」となり得るのか。
それは、とても簡単な道理。なぜなら、それらは「やがて失われる」からです。
「若さ」も「美」も「肉体」に依存します。先にも述べたように、歳をとれば肉体は衰え「もう肉体は放っておいては育つことはない」のです。悲しいですね。
やがて「失われる」という意味において「若さ」は大いなる「価値」を帯びます。
 
だからこそ、その「価値」を失おうとしているわたしたちはいま、新たな「価値」を会得する必要があるのかもしれません。
まずは「若さは価値ではない」という気づきを得ることが初めの一歩となるでしょう。
また、年上に「憧れのひと」を持つことも重要な気がします。ビジネス書によくある「メンター」というやつですね(なんだよメンターって、って気もしますが)。
 
自分は中学以来ずっと大好きな清春(黒夢)と、あと柴田恭兵みたいにカッコいい大人になりたいと妻に告白したら「のび太みたいな顔してよう言うわホンマ」と一蹴されました。
  
  

■カッコよさより「清潔感」


男性諸君。自分の爪、見てください。
はい。伸びてます。いますぐ切ってください。
あと鼻毛も出てます。顔にアブラも浮いてます。口から汚水の臭いがします。もうサイアクです。
 
そんなあなた。先日ドラマ『きみが心に棲みついた』(TBS)を観ながら
「オレも向井理だったら吉岡里帆とキスシーンできたのになー」
とか思ってませんでしたか??
 
黙れ小僧!そんな甘ッちょろい考えでは一千回輪廻してもし足りんわ!
 
向井理さんはカッコいいです。超絶カッコいいです。
そりゃあ吉岡里帆さんも国仲涼子さんもメロメロです。
しかし!わたしたちは向井理さんではないですし、どれだけ頑張ったところで一生なれやしません。
カーストが違います。
 
そんな我々は、せめて「清潔感」を保つのが関の山です。
 
せめて「清潔感」を保つのが関の山です!!
 
ちなみに向井理さんの「清潔感」はわたしたちより遥か上です。もはやフルボッコの負け戦です。
私たちは、私たちの勝てる狭い狭いフィールドで戦いましょう。
他人を不快にさせないレベルの「清潔感」を身にまとうのが関の山ですから…。
  
  

■ティーンエイジャーを「嗤うな」


なぜかやたらとエラそうなオッサン、いませんでしたか?
 
自分は高校の頃にバンドを組んでいたのですが、夜のスタジオにはだいたい「オッサンバンド」がたむろしていました。で、ン十万もする楽器をキャリーに担いで僕らの前を通って、無視。
普通スタジオではたとえ知らないバンド同士でも「お疲れ様です」と挨拶する習慣がありました。
けれどもそのオッサンたちは僕らの方から挨拶してもまるで見えなかったかのように無視。「てめーらヘタくそ高校生なんぞに挨拶してたまるか!」と言わんばかりの態度。
 
当時は「くそ、お前らなんぞカネにモノ言わしとるだけやないか!」とめちゃくちゃ腹が立っていました。でも自分がオッサンになってみて、いやはやどういうわけか当時のオッサンたちの気持ちも分かるようになったのです。
 
多分、オッサンは「悔しかった」のです。
若い頃にインディーで活動していたけど鳴かず飛ばず、就職〜結婚。いちどは音楽を諦めた身だけれど、子供も大きくなったところで第二の人生。
次こそロックに生きてやる!…だが、もう圧倒的に遅いのである。「もう、俺は若くねえ…」。
 
「若者に負けるか!」そうどれだけ意気込んだとしても失った「若さ」を手に入れることは不可能。
そんな折、スタジオで安っちい楽器を手にキャッキャ騒いでる僕らが、とても疎ましく感じたのでしょう。それと同時に羨ましくもあり…
そんな自分が悔しかったのだと、いまになって僕は思うのです。
 
つまり、ティーンエイジャーを嗤うオッサンは、自分の人生を「後悔」しているオッサンです。
そんな悲しいオッサンには、ならないようにしたいものです。
 
自分も社会人になってギブソンのン十万するギターを買いました。楽器店で試奏してから「これください」と言った時に、近くにいた高校生たちが「え、まじかよ!?」みたいなことを小声で言ってガヤガヤし出したので「オラァッ!これがオトナの財力じゃあ!」と心で叫びながらドヤ顔で見返して「ヘッ、ガキんちょ供が」って嗤ってやりましたよ。
この優越感なんですね。オッサンの快感、やめられまへん。
  
  

■おっさんを「嗤う」べからず


オッサンにはティーンエイジャーを嗤う権利は一切ないと思います。
それと同じくらい、オッサンがオッサンを嗤う権利もありません。
 
30歳を超え始めると、自分より年配の人が「どんな歳の取り方をしているのか」が無性に気になり始めます。「あんな歳の取り方ステキだなー」と感じる人もいれば「ああはなりたくないなあ」と感じる人まで、さまざまです。しかし、だからと言って「ああはなりたくない」と感じたオッサンをバカにしたり、あざ嗤ったりしてはいませんか?
 
みなさん。「同族嫌悪」という言葉を聞いたことはありますか?
これは「なぜか自分に似た相手を嫌ってしまう」という、わたしたちの無意識の心理をさしたものです。
なにが言いたいかというと、あなたは、あなたが「ああはなりたくないな」と感じたオッサンの中に実は「自分自身」を見つけているのかもしれません。
 
「このオッサン、頭が薄いな…(自分もそうなるかもしれない)」
「このオッサン、なんか臭うな…(自分もそうなるかもしれない)」
「このオッサン、電車で缶チューハイ飲んじゃってるよ…(自分もそうなるかもしれない)」
 
こうした「自分もそうなるかもしれない」という不安は、やがて「怒り」や「軽蔑」といった感情に転化します。そうすることで、無意識裡にその時に感じた「不安」を「なかったこと」にしてしまおうとしているのかもしれません。だからこそ、もしつぎに同じような感情に見舞われたときは、オッサンへの「怒り」や「軽蔑」よりもまず自分の「不安」へと意識を向けるようにしてみましょう。
 
オッサンを嗤うのではなく、自分自身の不安(=弱点)を見つめ直す良い機会だと捉えるのです。
そうすることで、あなたはより素敵なオッサンへとレベルアップすることができるでしょう。
  
  

■最大の敵は「自分自身」


自分の場合、10の頃の敵は「大人」でした。20代になると今度は「社会」が敵になりました。
そして30代、敵は「妻」「自分自身」になりました。このように「敵」は、自分の年代ごとにその姿を変えて現れるような気がします。
 
そもそも「敵」とはいったい、何なのでしょうか?
多分それは「自分がいつか成らねばならないものへの不安」が生み出す対象のような気がします。
 
10代の頃は、もうすぐ「大人」に成ってしまうことへの不安。
20代の頃は、知らぬ間に飲み込まれていた「社会」の一員に馴染めないことへの不安。
 
30代のいま、ぼくらは「大人」になって「社会」にもある程度馴染んだと思います。
しかし果たして「自分はこれで良いのか?」という漠然とした不安があるのではないでしょうか。
 
こうした「敵」には、いくら抗っても仕方ありません。抗えば抗うほど「敵」の術中にハマってしまうような感覚さえ味わうほどです。
では、どうするのが一番良いのか。
 
わたしは「敵を受け入れる」ことが得策ではないか、と思うのです。
抗うのではなく、受け入れる。そして自分の「仲間」にすれば良いのです。
「そっか、自分はいま『自分』と戦ってるんだな。まあ、いまできることを頑張ればなんとかなるさ!」程度の、軽い気持ちで挑む気概がいまのわたしたちには重要なのだと思います。
ここにきて初めてマトモなことを言いましたが、次で最後です。
  
  

■自分を「大切」にしよう


そうです。自分を「大切」にしましょう。
もう放っておいても肉体は育たない。若さの価値も失った。若い人から疎まれる。上の年代にも疎まれる。学ぶことの意欲も失ってきた。あらゆる物事に既視感を覚えてしまう。毎日が退屈の連続だ。これから自分がどうなるのか分からない。世間に置いてけぼりにされる気がする。
 
だからこそ!
わたしたちはこの「30代」をこれまで以上に「意識的に」迎えなければならないのかもしれません。
 
では何を意識すればいいのか。
それは「自分を大切に扱うこと」への意識です。
自分を、腐らせてはいけません。
 
自分が学生時代にお世話になった5コ上の先輩が先日、こんなことを言っていました。
 
「いやあ〜じぶん、ほん〜まさんじゅーなん、あっちゅぅーまやえ〜 ふええ〜」
 
はい。関西人にしか通じない感じですし先輩その時かなり酔っ払ってたんで呂律が回ってなかったんですが、お後がよろしいようで。

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