知っているようで知らない「うつ病」について

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■はじめに


  
こんにちは。ロケッツ4号機です。
最近のマイブームはロックバンド「L’Arc〜en〜Ciel」の旧ドラマーsakuraと、
現ドラマーyukihiroのプレイスタイルの聴き分けです。
  
  
さて、今回は健康についてーー
とりわけ「うつ病」についての話題です。
  
日本におけるうつ病の生涯有病率(一生のうちに少なくとも一回はうつ病にかかる割合)は、およそ15人に1人と言われています。医療機関にかかっている患者数は約100万人以上とされていますが、実際に医療機関に受診していない潜在的な患者数を含めると、およそ300万人以上のうつ病患者がいるとされています[1][2]
うつ病はとても身近な心の病気です。現に「うつ病」という病名なら誰でも知っているほどポピュラーな病気だと思います。
  
  
しかし、うつ病という病名や症状のざっくりとした知識は知っていたとしても、私たちはほんとうに「うつ病」を理解しているのでしょうか?
  
  
「怠けているだけでは?」
「うつは弱い人がなるものだ」
「うつ病は風邪と同じ。薬を飲めば治る」
「(うつの人には)あまり関わらないでおこう」
  
  
おそらく世間一般は、およそこのような印象を持つのではないかと思います。
本記事では、こうした「うつ病への誤解」に対する理解の改善と、職場や家庭などの身近な人がもし「うつ病」を患ってしまったとき、私たちはどう「接するべきか」について考えてみたいと思います。
  
  
ここに記すことは、あくまで私個人の経験からくる見解です。
参考になったりならなかったりすると思います。ご了承ください。
  
  
  
  

■心療内科は老若男女でいっぱい


  
みなさんは「心療内科」を受診(あるいは院内に出入りした)したことはありますか?
先述のとおり、うつ病の生涯有病率が15人に1人といわれる昨今、
心療内科はそのほとんどが予約で埋まってしまうほどの「大盛況」ぶりです。
  
じつは私も過去に心療内科を受診したことがあるのですが、待合室には年齢・性別問わずあらゆる人が腰かけていました。もちろん、心療内科を受診する人すべてがうつ病で来院しているわけではありませんが、おそらく割合としては多かったでしょう。誤解を恐れず言えば、院内に充満する「どんより」した重い空気に、いたたまれない居心地の悪さを感じたものです。
  
  
これは主観でしかありませんが、患者さんはみな一様に表情を「失っている」ような気がしました。私自身もそうだったでしょう。ぱっと見「アパレルの店員かな?」と思しき女性や、真面目そうな大学生風の男子、はたまた管理職風のサラリーマンなど「この人たち本当に心を患っているのかな?」といった印象でした。けれどこの場にいる限り、多かれすくなかれ心を患っている方々なのだと思い出すたび「心の病は誰にだって訪れる可能性がある」と実感したものです。
  
私はうつ病での受診ではなかったものの、しかしまさか心療内科に出入りするような日が来ようなどとは想像だにしていませんでした。院内にいた人の多くも、そう感じていたことでしょう。
  
  
  
  

■決して「怠けている」わけではない


  
うつ病に対する偏見のひとつに「怠けている」というイメージがあります。
この誤解は徐々に改められている気もしますが、しかし、たとえば職場で「やる気のなさそうな人」がいれば多かれ少なかれ「この人は怠けている」と感じるのではないでしょうか?
  
そもそも初めから仕事に誠意がなく不真面目だという人は論外として・・・近頃ミスが目立つようになったり、納期に遅れるようなことがしばしばあったり、また席を外す回数が増えたり・・・そういった社員に対してはじめこそ「体調が悪いのかな?」と感じるかもしれませんが、次第に「もっとやる気を出してくれよ!」と不満を述べたくもなるはず。うつ病は「怠けているのではない」という理解が浸透してきたとはいえ、やはりこうした誤解を招きやすい病気なのです。
  
  
職場のみならず、家庭でも同様のシーンは起こり得ます。
たとえば夫がうつ病を患ったとします。妻は献身的に旦那を見守ろうと努力しますが、なかなか夫のうつが改善されない。「今日も仕事に行くのが憂鬱だ」「もう死んでしまいたい」といったネガティブな発言に対して、はじめこそ「そうだね」「辛いよね」など共感してあげられたとしても、日増しにストレスは蓄積していくものです。そんな折、ふとした拍子に糸が切れてしまい「わたしだってしんどいんだから!」「あなたは何もしていないじゃない!」など、つい本音がこぼれてしまいます。こうした妻の発言(感情)を、誰も責めることはできないでしょう。妻の本音に触れた夫は、ますます気持ちが落ち込んでいき、次第に夫婦もろとも共倒れになってしまうケースだって有りうるのです。
  
  
職場のみならず、夫婦という身近な関係性ですらも「怠けている」という印象を抱きかねないうつ病のジレンマ。この、互いを理解することの困難は「うつの経験者でないと、うつの本当の苦しさは理解し得ない」ことにあるのかもしれません。
  
  
だからこそ、うつ病になったことのない私たちがまず理解しておくべきことは、うつは「怠けているのではない」ということの「『心からの』理解」だと思います。ざっくりと「うつは怠けているのではない」という理解ではなく「うつ病は『怠けている』と周囲が思うほどに『やる気を失う』症状を引き起こすものだ」ということの「心からの理解」が必要だと思います。また、そのことをうつ病患者本人が誰より苦しみもがいていることを知ることも、症状を理解するための大きな一歩となるでしょう。
  
  
  
  

■「弱い言葉」を理解しようとすること


  
私たちは無意識的に毎日を「強い言葉」と共に乗り切っています。たとえば「頑張るぞ!」「もっと努力しよう!」「いつか夢を叶える!」「絶対に強くなる!」などのポジティブ(強い)な精神からくる言葉です。けれどよく思い返してみてください。そのような言葉の裏には多かれ少なかれネガティブな(弱い)要因が見え隠れしていませんか?
  
  
失敗してしまった  → 頑張るぞ!
うまくいかなかった → もっと努力しよう!
いまがとても辛い  → いつか夢を叶える!
負けてばかりだ   → 絶対に強くなる!
  
  
こうしたボジティブな言葉(強い言葉)は、実はネガティブな言葉(弱い言葉)が存在します。この「弱さ」を乗り越えようと、あえて「強い言葉」を口にすることで逆境に立ち向かうことができます。しかし、うつ病の方々はこうした「強い言葉」をイメージすることができません。うつ病のひとは、こう考えます。
  
  
失敗してしまった  → もうダメだ。
うまくいかなかった → もうダメだ。
いまがとても辛い  → もうダメだ。
負けてばかりだ   → もうダメだ。
  
  
このようなネガティブの感情の連鎖こそ、うつ病の症状の大きなひとつかもしれません。フォローする人たちがよくやる失敗に、うつ病の人に対し「強い言葉」を返してしまうことです。
  
「なにもかもうまくいかない」といった言葉に対して「じゃあもっと努力すればいいじゃん!」といった具合です。一見励まして元気付けているように見えますが、これは、ほとんどの場合うつ病の相手をいっそう苦しめてしまうことになるでしょう。何度もいうように、うつ病は「怠けている」のではありません。ひと一倍悩みに悩んだ挙句、プチンと糸が切れてしまったといったような最悪の状態なのです。「努力しなきゃいけない」ことは本人が誰よりプレッシャーに感じているものの「できない」状態、それがうつの辛いところなのです。
  
  
「うつ病で苦しんでいる方にどう接するか」これは、とても難しいことです。
しかし、まず大切にしたいのは「相手の言葉を傾聴する」ことです。「辛いんだね」「大変だったね」「よく頑張ってきたね」などの言葉を、なるべく落ち着いた態度で相手に伝えてあげましょう。
  
「強い言葉」がダメだというわけではありません。状況によってはプラスに働くこともあるでしょう。ただし「弱い言葉」に対しすぐに「強い言葉」で返すのではなく、まずは相手の気持ちを汲んであげましょう。その上で「一緒に頑張ろう」「一緒に努力しよう」など、相手に寄り添ってあげる姿勢を示してあげれば、「強い言葉」も相手に響きやすくなるかもしれません。
  
  
  
  

■「共依存」にならないよう適切な距離感を


  
うつを抱える方のご家族やパートナーなど「支える側」が注意すべきこと。
それは「共依存」にならないこと、です。
  
  

共依存[3]
自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存しており、その人間関係に囚われている関係への嗜癖状態(アディクション)を指す。すなわち「人を世話・介護することへの依存」「愛情という名の支配」である。共依存者は、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、そして相手をコントロールし自分の望む行動を取らせることで、自身の心の平安を保とうとする。

  
  
たとえばアルコール中毒の夫がいつも妻に暴力を振るっていたとします。周囲は妻に離婚するよう説得するものの、聞く耳を持たないどころか周囲に反論さえします。彼女は「この人は私がいないとダメになってしまう」という思いに本気で囚われています。
  
夫は妻を頼り、まるで子供が親に甘えるようにそうします。妻は、そんな夫を献身的に支え続けます。「この人は私がいないと・・・」と言い聞かせながら。ざっくりと、これが「共依存」と呼ばれる関係性です。
  
  
このような「共依存」の関係は、うつ病患者とそれを支える側にもみられるようです。共依存に陥ってしまうと、知らず知らず支える側の疲労やストレスが溜まっていき、最悪のケース共倒れになってしまうことも考えられます。
  
うつの相手を支えるには、体力も気力も並以上に必要となります。だからこそ共倒れにならないためにも、まずはカウンセラーや親族などの「信頼できる第三者」と一緒に、うつに悩む相手を支えられる十分な環境を整えるよう心がけましょう。
  
  
  
  

■さいごに


  
「うつ」は、想像を絶するほどに辛く、孤独な心の病です。
しかし、心の病ゆえに他人にはなかなか理解しがたく、誤解を招きやすい病気です。
だからこそ、まず私たちが知っておきたいのは、
うつとは「やる気がない」のではなく「やる気が出ない」状態であること。
またそのことを本人が一番苦しんでいるということ。
  
まずはこの2点への「心からの理解」かもしれません。
  
  
  
  
  
  
  
  
yukihiroはシングル「虹」でサポート参加後、正式メンバーとして迎えられます。
  
当時「sakuraのほうが良かった」という意見も多く、その理由の多くが「yukihiroのドラムは軽い」だったと記憶しています。たしかにsakuraのドラムはずっしりと重く響くドラム、対してyukihiroは軽やかに跳ねるようなドラムです。チューニングやシンバル系の使い方からして全く別物。
  
いずれのドラムも個性的で、どちらのプレイスタイルが良い・悪いというのはないでしょう。
しかし、これはあくまで個人的な意見ですが、L’Arc〜en〜Cielは「yukihiroのドラムだからこそ成功した」と思います。
  
ドラムは、ベースと合わせて「リズム隊」と呼ばれる楽曲のリズムを司るポジションに位置します。L’Arc〜en〜Cielのベース、Tetsuyaのベースは主にメロディラインを自由に奏でる独特な奏法で知られていますが、sakuraの重たいドラムに埋もれがちでした。良くも悪くも「インディー感」から抜け出せない楽曲が多かったように思います。
  
対してyukihiroの軽やかなドラムは、tetsuyaのベース(メロディライン)を浮き立たせ、楽曲全体に「芯」と「華やかさ」そして「ポップ性」を加えるのに一役買いました。現にL’Arc〜en〜Cielはyukihiro加入後「HONEY」「Driver’s High」「STAY AWAY」など爆発的なヒット曲を連発し続けます。yukihiroのプレイスタイルが、L’Arc〜en〜Cielが本来持つ楽曲の魅力を引き立てたのは確実でしょう。
  
  

Dune

LArc~en~Ciel Dune 1995 Special live

ドラム:sakura
アタックの1音1音がしっかり響いて聴こえます。
特にバスドラムとスネアが胸を打つような力強さ。あと刺青かっこいい。
  
  

L'Arc~en~Ciel Niji Live 1997

ドラム:yukihiro
シンプルそうに聴こえて実は物凄く手数が多くテクニカルなドラム。
ハイハットとスネアの音を一体にして叩くのがyukihiroの特徴であり、
また独特の「軽さ」を生みだす要因となっています。
  
  
  
  

■参考文献(ウェブサイト)

[1]「あなたの身近にあるうつ病」
http://www.blog-journal.jp/2012/04/post-190.html
[2]「うつ病ってどんな病気?:うつ病の患者数」
https://www.cocoro-h.jp/untreated/overview/population.html
[3]共依存(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E4%BE%9D%E5%AD%98
  
  

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